「コード感」総集編 (その1)
「コード感」総集編 (その1) 第1回 さぁてぇ、きょうは寝てません。。。
そりゃそうだ。同じ音弾いたら、調和します。なんか自明過ぎて馬鹿にされてるようですが。。。
↓ 例1
Neighboring Tone:隣接音
↓ 例2
があります。その他にもTrillとか、難しいのだと「カンビアータ」という装飾音符なんかがこれに含まれますが、音価的に見ると、やはりこの2つが2大カテゴリーだと思いますね。
↓ ↓ 例3
「ふうーん。。。」
そこで問題。
こんな場合、どういう風に分析すればいいのでしょうか、ね? ↓ 問題
上記のいずれにも該当しない。。。 経過音でも、隣接音でもない。。。ってことは、ノンコードトーンではない、ってことか? 人間の耳は、この「消去法」で、コードを聞いてるんですねー。すごいぞ人の耳!! でも、どっちかって言うと、2度以外の旋律の動きは、その両方がコードトーンに聞こえる、って方を中心に今後見ていきます。こっちのが多用されるし。。。
第2回 先日お話をした、「コード感」の話をもう少し。 前回は、こんなこと弾くと、コードが聞こえる、と申し上げました。
「2つ以上の音が同時になっている状態が和音」 である、と申し上げましたとおり、2つの音の和音が聞こえます。あえて名前を付ける必要も、足りない音を足す必要もありません。
が、 トラディショナル(クラシック)が3和音(トライアド)主体で出来ていることを考えると、この3度離れた3つの音は、トライアドの一部であるかのように聞こえます。 つまり、こういうことです。
そこでジャズおたくの方々からは 「おいおい、そんなヒヨっコなお話は聞きたかぁないぜ。。。4和音やテンションは?」 という誹謗中傷の声が聞こえてきますが。。。
しかし、ここではそういったジャズおたくの方々の「目からうろこ」を落としてやろう、という企画ですので、続きを楽しみにしていてくださいねー。 っていうとちょっと意地悪いんで説明すると、トラディショナル(クラシック)では、7度が不協和とみなされているため、4和音が協和な和音とはみなされません。 よって3和音以上の可能性を考える必要はありません。
第3回
「不協和音程は解決すると自然に聞こえる」 です。 豪華サウンドサンプル付きです。。。といっても非常にシンプルなものだが。。。 ともあれ、始めます。 前回は、「トラディショナル(クラシック)では、7度が不協和」と申し上げました。そんでもって、ジャズではそうではない、と言うお話も。 7度が不協和だったら、100%のミュージシャンがDareDevilになってしまう。。。実際、9度、11度、13度なんて、当り前のように出て来ます。。。 しかし、 僕もそうでしたが、テンションコードとか覚えたての頃っていうのは、使い方も知らずにやたらと使いたがるもんなんですよね。。。 そうした使いかたの鍵を握るのが、この不協和音程をいかにコントロールするか、なのです。 前々回、2度は不協和音程であることを説明しました。クラシックでは7度も不協和音程です。もっとも不協和・協和というのは、相対的な話。つまり「2度は3度と比べて非常に不協和だ」と言うことになります。 また、ことに対位法的な観点からすると、5度は協和しすぎなので、不協和と考える、などといった、普通に考えたら非常に分かりにくい基準もあります。(早い話、この時代は3度と6度が好きな人たちが多かった、ってことか。) 従って、これが協和、ここからが不協和、という、全ての音楽に通ずる明確な線引きは、実際のところありません。 もう一つ大切なことは、協和・不協和は、ある「状態」を示しているだけのことで、「美しい・醜い」という基準ではありません。
てなわけで、バッハやベートーベンの時代に、こうした問題がどう考えられていたか、また、ジャズの人たちがどんなサウンドを「かっこええ」と感じたか、というお話です。 トラディショナル(クラシック)では、対位法の重要な観点として、「不協和音程は解決すると自然に聞こえる」というのがあります。 なんていうと、 「解決とは何ぞや」 と言う話になると思うので定義を説明すると、 「不協和音程から2度移動して、協和音程となる」 と言う意味です。しかし逆に、僕的には 「不協和音程が連続すると、すごいことになる」 と置き換えたいところ。そんでは、不協和音程が連続すると、どうなるか。 こんな感じ。(画像をクリックすると、サンプルが繰り返し4回演奏されます。)
うーん、結構エグイ感じですが、聞き様によってはカッコイイ気もします。実際、こうしたコンテクストを意識的に用いる場合が、ジャズなどでは往々にしてあります。 そんでは、このルールを馬鹿正直に守ったらどうなるか。 こんな感じ。(画像をクリックすると、サンプルが繰り返し4回演奏されます。)
おー。なんか聞きやすい感じにはなりましたが、不協和音が連続している前の例と比べると、エッジがない感じもする。。。
これが一番あたりさわりが無い感じがするなぁ。。。。一番無難。 しかぁし、ここで「一番無難なのでイットコ。。。」などと妥協してはだめです。「おうし、そんなら頑張って2度つかってやろうじゃん!!」という心意気が大事です!! 何を隠そう、音楽の歴史は、そうしたチャレンジ精神の歴史でもあります。
ところで、3和音を「ひよっこ」と思った方へ。。。 おそらく95%以上の方々がフツーにやってるのを見かけてしまう、以下のような場合に、このエグイ感じが含まれているのをご存じでやっておられますよねぇ?
第4回 今日は「コード感」の話第4回です。 てな訳で、今日も行ってみましょー。 今日は、「人間の歌」の話です。今までで一番分かりやすい話かもしれません。 人間の歌声は、何の疑いもなく、最古の楽器でしょう。 1)音域がせまい まあ、7オクターブも出る奇特な人は除いて、人間の声が「楽器」としてカバーできる音域は通常2オクターブ前後です。 サックスなどの音域は、人間の声に近いですね。。。ただ、サックスなどだと、Bb管、Eb管など、その管長により、どんなに頑張っても出ない低音があります。これに対して人間の声は、がんばればなんとか出る音と言うのが存在するあたり、違いますね。しかし上方向は、フラジオなんかで頑張ればどんどん出る音域が広がります。 ちなみにギターは4オクターブ前後、ピアノは8オクターブ前後出ます。しかも、「頑張れば出る」とか、そういうこととは無縁です。上から下まで、それほど頑張りもせずに、フツーに音を出すことができます。 2)跳躍が苦手 ギターやピアノにとって、アルペジオ(和音の構成音を1個ずつ順番に弾く)は、いとも簡単。これを人間の声でやろうとすると、非常に困難です。ちなみにサックスなんかでも、アルペジオは比較的容易です。この点トランペットはサックスに比べたらちょっと難しいかも。 3)ピッチを取るのが難しい。 もともと「ここを押せばこの音が出る」という仕組みなど人間に備わっている必要もないので、ピッチを当てる(正確なピッチを出す)ことが非常に困難です。周りの音につられちゃったりします。 誰につられるわけでもないのに、なぜかピッチが全く当たらない方のことを「音痴」と呼ぶようですが、僕は「音痴は治る」教の信者です。ガンバロー! ギターやピアノ、そしてサックスなどは、あらかじめ楽器を調節してさえおけば、音を「当てる」必要は、ほとんどありません。 4)息継ぎが必要 先日紹介したアンソニー・ブラクストンみたいに、「循環呼吸」のボーカリストというのは聞いたことありません。。。 しかし、このアンソニー・ブラクストンみたいな形で循環呼吸を使うのであれば、少なくともケニーG男よりは、その意義が見出せる。 つまり、現実には、「息継ぎが必要」ということ。 ちなみに、ギターもピアノも息継ぎが要りません。 と、いうわけで、
1)音域がせまい です。 1)音域がせまい この二つの合わせ技1本で、跳躍する音程が限られます。まあ、最大で2オクターブ跳ぶようなことはありませんが、キーチェンジなどのことから考えても、跳んでもせいぜい1オクターブ。通常は7度程度まで。普通の人が難なく跳べるのは6度までということになっています。また、一般的に「跳びやすい音程」と「跳びにくい音程」がありますが、おおむね音程の大きさに比例して跳びにくくなります。 実際にやってみると、自分にとってどの音程が跳びやすいか、わかります。
さらに、跳躍した音程は、跳躍後はその反対方向に動く傾向にあります。
これには何も裏付けはありませんし、反例も沢山ありますが、概して、 1) ある音程が演奏されると、人間は生理的に、その間にある音を聞きたくなるから といわれていますが、僕は、 2) そもそも歌は音域が限られているので、そのまま同じ方向へは行きにくい のではないか、と思います。 「でもさ、それってボーカリストの話でしょ。」 そうです。 しかし、自分のフレージングに何かしらの「不自然さ」を感じた場合、「それじゃあ、何が一番自然なのか」と考えた場合、 「自分が歌えるか?」 「歌ってみて困難ではないか?」 と自問自答すると、良い結果が出ることが多いです。 究極的に「自然な」フレージング、というのは、人間の声のフレージングに近い、ということです。 さて、 3) ピッチを取るのが難しい ということから、何が言えるか? たとえば、先日の例の場合のように、2度音程が連続すると、つられてしまって、ピッチが他方の音程に近づいて行ってしまいます。
そんなわけで、たとえばコーラスなどで2度が出てくると、それにはいわば「山場」的な要素が含まれており、一聴して「それ」と分かる感じになります。 ちなみに、トランペットなんかでも、2度は当てにくいと思います。 4)息継ぎが必要 これはフレーズの長さに関連します。 第5回 と、言うわけで、「コード感」5回目です。 第4回で、「平行移動(パラレル)の不協和音がマズイ」というお話をしました。 これです。 画像をクリックするとサンプルが再生されます。
そこで、ある人が、
と言ったとします。
たしかに、そうすることで、2度はなくなりますね。 音楽では、こういう作業を、「転回」 Inversion といいます。 そんじゃあ、実際にやってみましょうか。。。 画像をクリックするとサンプルが再生されます。
やっぱり不協和な感じがしますね。。。 実は、 「不協和音程の転回形は、やっぱり不協和音程となる」 という原則があります。 ちなみに、協和音程の転回形は、やっぱり協和音程になります。 やっぱだめかぁ。。。 これはとりもなおさず、巷で教えられているジャズやポップスの音楽理論が、「和声学」だけに極端に依存しているためです。 なぜかそこの部分だけが強調されてしまうのです。 実は、僕がこうやって「コード感」として取り扱っている内容は、「対位法」である、というお話をしましたが、これは、バッハやベートーヴェンから、ジャズやシェーンベルクに至るまで、ほとんど普遍の理であると言っても過言ではありません。 その内容は、次回ちょこっとお話する予定です。 第6回 さて、続いて「コード感」第6回です。 前回、 「これはとりもなおさず、巷で教えられているジャズやポップスの音楽理論が、「和声学」だけに極端に依存しているためです。 なぜかそこの部分だけが強調されてしまうのです。」 と申し上げました。 実は、僕がこうやって「コード感」として取り扱っている内容は、「対位法」である、というお話をしましたが、これは、バッハやベートーヴェンから、ジャズやシェーンベルクに至るまで、ほとんど普遍の理であると言っても過言ではありません。 したがって、トラディショナル(クラシック)の理論と、ジャズやポピュラーの理論の一番の相違点は「和声」ということになり、したがってその部分だけが強調されてしまうのです。 しかし、以前に申し上げましたとおり、ジャズ、ジャズの和声学理論の源流は、ロシアの民族楽派に求められます。 ジョージ・ガーシュウィンはジョセフ・シリンジャーというウクライナ人(ロシア帝国時代)から音楽理論を学んでいます。 そしてこのジョセフ・シリンジャーと言う人、ロシア民俗楽派の長的な存在、リムスキー・コルサコフから音楽理論を学んでいます。 シリンジャーの弟子には、ジョージ・ガーシュウィンや、グレン・ミラーのほか、リー・バークという人がいました。 リー・バークが建てた学校がシリンジャー・ハウスという音楽学校でしたが、後に自分の名前をひっくり返してバークリーとしたのでした。 以下、ウィキペディアからの抜粋です。 One of Schillinger's students, Lawrence Berk, founded the Schillinger House of Music, later to be named the Berklee College of Music at Boston, Massachusetts. Schillinger's students also included George Gershwin, Glenn Miller, Robert Emmett Dolan, Carmine Coppola, Vic Mizzy, and Leith Stevens. There has been debate surrounding how many teachers were certified by Schillinger himself. The numbers cited range from seven to twelve certified teachers. Yet, to date, only seven certified teachers of the Schillinger System have been substantiated.(Wikipedia) すなわち、音楽としてクラシックとジャズとはもともと同じ起源を持っており、したがって和声学だけではなく、対位法的観点も重要となります。 和声学とは、音楽の縦の構造に関連する内容です。それと比較して対位法は、横の構造に関連する内容ですが、実際には両者とも相互に関連しており、実践的な作曲やインプロビゼーションにおいては、こうした両方の観点から音楽を見る必要があります。 図にすると、こんな感じの概念。
それは、ロシア民俗楽派やジャズでは、ことに音楽の縦の構造が倍音列 Overtone Series という音響工学的な観点から、根音Acoustic Root を中心に体系化されたからです。すなわち、縦の構造において、それまで「2度の転回形は7度であり、両方とも不協和である」とされていた内容について、2度と7度の不協和の度合いの違いを明確にすることが出来たのです。 したがって、「2度がマズイ」「7度もオイシクナイ」と繰り返し言っているのは、あくまでも対位法的な観点からであり、実際には、そうしたリッチな和声的構造を生かすコンディションで用いるならば、全く問題ありません。 これも順を追って説明したいと思いますが、簡単に言うと、 複雑な和声的魅力を引き出すには、むしろ対位法的内容を差し控えること。 逆に対位法的な魅力を出すには、複雑な和声的構造を差し控えること、 がコツである、といえるでしょう。 第7回 と、いうわけで、「コード感」というお題で6回ばかりポスティングしました。 しかし、最近ではWikipediaで、かなり詳細に基礎が述べられていますので、それを十分に理解されてからもう一度読んで見てください。 それでは、ここまででカバーした基本事項について、ここいらでちょっとポイントをまとめてみます。 1) ある音から、別の音へと跳躍する場合、その両方の音がコードトーンに聞こえる。 「跳躍」とは、旋律上で、ユニゾンまたは2度以外の音の動きがある場合でした。これは、跳躍する音が経過音とも隣接音とも分析できず、したがってコードトーンである、という帰納的な方法で証明しました。人間の耳はこうして帰納的に旋律を解釈します。 2) 不協和音程は2度で移動して協和音程へと移行すると、自然な感じに聞こえる。 不協和音程とは、クラシックでは2度とその転回形である7度、ジャズでは2度でした。ジャズでは7度やそれ以上すなわちテンションをコードトーンに準ずるものとして扱うのは、ジャズや民族楽派の和声理論では、縦方向のコンテクストが、トラディショナルよりも体系的に整理されているためであり、そうした和声理論が旋律の動きとは切り離された議論であることも分かりました。 3) 人間の声と同様、跳躍の幅が広がってゆくと、不自然さも増加する。 人間の声で、適切なピッチを保ちつつ跳躍できる限界は、普通の人で6度、ある程度訓練を積んだ人で7度程度。1オクターブは比較的簡単ですが、それ以上の9度、10度となってゆくと、相当の訓練を要するものとなります。
それでは、次回から、実際の曲を使って、インプロヴァイズされたラインでコード感を出してみましょう!! 第7.5回 いやあ、今日やっと横須賀に帰って来ました。。。 オートバックスでオイル交換待ち時間が「30分」なんて言われて、結局2時間待たされてかなり腹立ってます。そのあとの予定が崩れまくり。 まあ、それはさておき。。。 ちょっと今日は補足入れます。 「コード感」に的を絞ってお話している関係で、対位法的に旋律でコードのコンテクストを表現するにはどうするか?というお題で徒然に書くことになってしまっていますが、前回の概念図でいう「縦方向」の観点も、当然のように重要です。まあ、表す内容が「コード」ですから。。。 しかし念のためもう一度確認。コードとは、初回にポロっと言ったとおり、同時に2つ以上の音が鳴っている状態なので、単旋律ではあり得ないインスタンスです。 と言うわけで、その辺了解の上でコードの理論について、ちょこっとお話します。 巷では、伝言ゲームさながらに、著名なポピュラー音楽理論が「輸入」され、様々に解釈されて、様々な語り口で語られていますが、基を正すとBerklee Methodにたどり着く場合がほとんどです。 しかし、このBerklee Method自体が未だに校閲を重ね、年を追うごとに細かく異なる内容となっていることもあり、様々な語り口で異なる内容が全世界で教授されることになっています。さらに「あれが異端だ」「こちらの方が正しい」など、喧々諤々なこともありますが、僕的なスタンスでは、「人に教えること」を情熱としている人々にとっては大問題かもしれませんが、創作活動という観点から見れば、どの語り口で、どの時代のBerklee Methodを学んだとしても、それが何らかの作品として結実するだけの想像力を与えるものであるならば、その理論の意義はそこにある、と言えると思います。 要は、どのような理論であれ、インスピレーションを与えるだけの内容であれば、十分に意義があると思います。決して「正統」「異端」という二極的な観点では片付けられるものではないでしょう。第一、Berklee Methodにも突っ込み入れたくなる部分が結構ある。 その例の筆頭が、連綿と教えられ続けている「アヴェイラブル・ノート・スケール」。でしょう。 音楽教室かなんかでアドリブを教わったことのある人なら一度は聞いたことのある、イオニアン、ドリアン、フリジアン・・・という、あれです。こんなエピソードがあります。
ジャズ理論の先生のところに、あるトランペット奏者がにインプロビゼーション(即興演奏)の理論を教わりに来た。 先生はアヴェイラブル・ノート・スケールの話を初めて、「そんじゃあ、実際にアドリブ取ってみましょう。。。」と、やおらピアノで伴奏を始める。 その生徒のトランペット奏者、演奏されたコードのアヴェイラブル・ノート・スケールを下から順番に吹いてゆく。。。 先生: 「ちょっと待った。その音は使っちゃまずい。」 生徒: 「何でだ?」 先生: 「その音はアヴォイド・ノートと言って、目立った使い方を避けなければならない音なんだ。」と説明する。 生徒: 「あんたの言ってることはわからん。だって先生はアヴェイラブル・ノート・スケールって言っただろう。何でアヴェイラブル・ノートに、避けなければならない音が入ってんだ?」 そうなんです。アヴェイラブルとは英語のAvailableです。つまり日本語に訳すと「利用可能な」と言う意味。アヴェイラブル・ノート・スケールとは、直訳すると「利用可能な音の音階」と言う意味。 この生徒さんは「利用可能な音のスケールに、避けなければならない音が入っているのはおかしい」と言っているわけです。 まさにそのとおり!!これってネーミングの問題なのでしょうか? それとも、天下のBerklee Methodに物申すのは、恐れ多いことでしょうか、ね。 ちなみにこのエピソード、僕が師匠から、リディアン・クロマティック・コンセプトのお話をしていただいた時の、前振りでした。 そうなんです。このエピソードで登場するインプロの先生、ジョージ・ラッセルです。 ちなみに生徒のトランペット奏者は、マイルス・デイビスです。 ジョージ・ラッセルは、マイルス・デイビスの鋭いツッコミに逆に説得されて、音楽の縦構造における12音それぞれの根音からの距離を計測して、相対的な距離関係を明らかにしたわけです。こうなってくると、ダイアトニックの7度と2度の不協和度の違い、とかいう次元の話ではなくなります。 さらに、当然ですが、他の音楽理論として、クラシック(トラディショナル)の理論、12音技法、ミニマル・ミュージックなど、ポピュラー理論以外の体系も多数存在します。 これに加えて、自然界の理=数学を取り入れたコンセプトとして、フィボナッチ数列を用いたり、フラクタル・ジオメトリーを用いた作曲技法等が存在します。 要するに、そこから音楽的なインスピレーションが得られ、何らかの作品として結実するのであれば、どのような音楽理論にも意味があると思います。
第8回
今日は夜半から雨。。。 たまにはいいかもしれません。 毎日晴れでも疲れます。 と、言うわけで、「コード感」シリーズ第8回は、実際の曲でその適用を考えてみます。 お題の曲は、「枯葉」です。Aの部分の初めの8小節を例にとって考えてみましょう。。。 まずコード進行がどのようなものかを考えてみましょう。。。 キーはGm。コードチェンジは Cm7 / F7 / Bbmaj7 / Ebmaj7 / Am7(b5) / D7 / Gm7 / (G7) んで、メロディを縦に切った時、 Am7(b5) / D7 / Gm7 の部分のAm7(b5)は、Am7ではないか、という問題もありますが。。。しかし実際演奏されてるのはIIm7(b5) が多いと思います。(クラシックの理論上では、上向^6 ^7がナチュラル・下降^6 ^7がフラットだしさ。。。)ルートだけ見ると、5th cycle そのまんまです。クラシックだと、episodeなんかで出てくるカンジです。 と、なりますが、ここではそれほど問題ではないので聞き流してください。。。なぜなら、今ここでお話したいのは、コードの機能がうんぬんかんかんという話ではないからです。 さて、このコード進行ですが、全てをルート・ポジションで弾くと、こうなります。トランペット4本で演奏するカンジです。。。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。
これだけ聴くと、非常に美しい感じがしますが。。。前回もお話したとおり、パラレルのディゾナンス(平行で移動する不協和音)が混じってます。。。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。
これゆえに発生する可能性のある問題は何でしょうか? 1) 歌やトランペットだと、音程が取りにくい。互いにピッチがつられてしまう可能性大。 2) 全てのパートで音が継続的に跳躍してしまう。 2) 聞いてて、ちょっとエグイかんじがする。 こういうのが好きなギタリスト右代表はこの人。 個人的には、マイルス時代が一番カッコええとおもいます。 それはともかく、ここではそうした感じを醸し出すのが狙いではないので、より自然な感じにするために、 「不協和音はステップで解決するようにすると自然になる」 という原則を適用してみます。すると、うまい具合に当てはまるんですねーこれが。。。 こんな感じ。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。
ちょっと詳しく分析すると、この進行には不協和音→協和音というパターンが2つ含まれています。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。 こうした事象がポピュラーの「和声学」でカバーされることは非常に少ない。。。アレンジのボイスリーディングでちょっと触れられる程度です。 こうした内容が、以前に申し上げた、面白い「対位法的な内容」と言える部分だとすると、これを「聴かせる」ことを念頭に置いて、アレンジを作ればいい、ということになります。 実際に演奏すると、不協和音になる部分は、やはりちょっと難しい感じもしますが、うまくいったらいったで達成感みたいなものが感じられるでしょう。 トラディショナル(クラシック)では、こんな感じで登場します。トップをオクターブ下げて、さらに最後に係留を加えてありますが、基本的に同じです。まあ、「ありがち」な感じではあります。 画像をクリックするとサンプルが演奏されます。
「でもさあ、これって単旋律じゃないんじゃないの?」 まだ単旋律ではありません。 今回のねらいは、単旋律で表現する「内容」を明確にすることです。 焦らず、ゆっくり着実に。。。 「そんじゃあ、毎回おんなじコトをやれ、ってこと?それってアドリブじゃないじゃん。ぜんぜんクリエイティブじゃないよ。」 それも、これから御説明します。ちょっと我慢の子でお付き合いください。。。 「コード感」シリーズ総集編2はこちら。
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